「聞いたことねぇなぁ……。誰がでっちあげた話じゃないのか、それ?」
「真実に決まっています! ここにちゃんと書かれているじゃないですか!」
「しかし本当にそんな英雄がいたなら、なんで記録にも残っていないんだ? 後世に伝わってない歴史ってのはつまり、おまえのご先祖様の解釈違い……悪い言葉で言えば妄想だからなんじゃないのか?」
「ひどい侮辱だ! ご先祖様の名誉にかけて決闘を申し込みます!」
ドミトリーはバンバンと本の表紙を叩いて反論してくる。古い本だけに埃が舞うかと思ったが、毎日開いているのだろう、結局塵ひとつ落ちはしなかった。
「悪い悪い。訂正する。決闘はごめんだ」
「とはいえ……あなたの疑問はもっともです。ですが、あなたの疑問に対する答えは簡単。当時の権力者は彼が英雄であればあるほど記録が正確に残されていたら困るからです。だから歴史書の記述から消したんです」
「なんでわざわざそんなことするんだ?」
「そりゃあ、ギルティイノセント帝国のころはよかったなぁなんて思われたら、やりにくくって仕方ないからですよ」
酒と一緒に、納得が腑に落ちた。
「どんな国でも言えることですが、前の為政者は悪人や無能であるほうがよいのです。そういった悪人を打倒したから今の我々がある、だから少しくらい今の生活に不満があっても昔よりはマシなんだから我慢しなさい、と市民たちに言えるのです」
「なるほどな。……そんなことを書いているから発禁処分も受けるわけだ」
「真実を書いて何が悪いのですか!」
なんでも、こいつは今話しているような内容を何度も本にして発行しようとしたらしい。
そのたびに役人から書き直しを命じられて、まだ本は出ていない。
こういった話は、酒場の話だから飲んだくれのたわごとで済んでいるが、実際にこんな本を発行されるとなったら、そりゃあ、お偉いさんも止めるだろう。
どこの誰が真に受けるか知れたものじゃない。
「とはいえ、このA氏に侵略者としての側面があったことは否定できません。A氏が皇帝に即位しただろうG656年7月からわずか数か月後、ギルティイノセント帝国の国土は10%も拡大しました。同年、サラスヴァ王国のセラフィーナ女王の提言で第三次ヴィへレア協定が締結され、1年間の不可侵条約が結ばれますが、期限が切れた途端、帝国は過去にセブンス連合に奪われたゲルハルト自治領奪還のため、侵略戦争を再開しています」
ぶつぶつ呟きながらドミトリーが本のページをめくる。少しばかり話も小難しいことになってきた。酒の肴にするにはちょっと重いか。
「熱くなっているところ悪いが、そのへんでいいや。ようするに、そんな帝国がありましたって話だな? 良い国か悪い国かはわからねぇとしても」
「はい。しかしですね。後の歴史書が彼を英雄ではなく梟雄(きょうゆう)と呼んだとしても……」
「またわからん言葉が出てきた。梟雄?」
「梟雄とは、悪人や残虐なことで名を馳せた人物のことです。乱世の梟雄などというように使われますね」
「つまりA氏は稀代の大悪人だったってわけか」
「そうと決まったわけではないという話をしているんです! ちゃんと聞いてましたか!?」
「……別にどっちでもいいしなぁ」
「いえ! 私の先祖が残した古文書には、彼を英雄と書き記している箇所があります! 大悪人と決めつけるわけにはまいりません!」
ドミトリーの顔が赤い。酔っているんだろうか。まあ、酔っているんだろう。人が酔うのは酒にばかりじゃない。
「わかりました! では、かのA氏が英雄であったか梟雄であったか。今日の飲み代を賭けて勝負です!」
「乗った。そういう話なら大歓迎だ」
どうせ酔うなら俺は酒で酔いたい。ドミトリーと俺の利害は一致した。
「で、どうすれば勝ちなんだ? 記録もほとんどない人間のことをどうやって調べればいい?」
尋ねられてドミトリーは、自慢げに本の表紙を叩いた。
「ここに彼について書かれた本があります!」
「おまえ、それは反則だろ!」
酔っ払いたちの夜は長い。
(続く)